※English translation in preparation

流動性のある粒

私の制作テーマは流動物であり、それを最も感じさせるものは空気です。





(※ここでは空気を空、空間、宇宙などといった、それを示す複数の言い方で表しています)

空をみると、光・雲・風や雨を感じ、冬には雪という姿で流動物を感じさせます。





それらの存在は、いつも空に切れ目のない流れるような線を描き、時にはゆっくり空気の中を漂う事もあれば、存在を感じた者をもの凄い勢いで貫いたりしてきます。

よく、私は自然のなかで、長い時間動かずにその場にいると、そこにある流動物とそれに伴う氣※1の存在を感じます。空という名の宇宙空間を見ていると、大地(地面)や山のような動かないものが、そこの空気と相対しているのを感じます。動かないものと、そこにある空気が、その境界線を自分のエリアだと主張しているのです。動かないものと空はその境界線を、静かに攻めぎあっています。それは一瞬も止まる事がなく、ただひたすらにその境界線を示しています。相対するものが、譲らず怯まなくても、その現状をもお互いが相互理解をし、ただ一定のエネルギーでその境界線にあるものを、こちらだと主張しているのです。





そして、そこでそれを感じ続けていると、その動かないものと空が、全ての生き物の息づかいを内包し、最終的にはその場所でただ傍観している私の息ですらも、自らの意思とは関係なくコントロールし始めるのです。それは計り知れない万物の大きさ、エネルギー、自然の畏怖を感じさせます。

その境界線に対する主張と相互理解をも含め内包する氣の存在は、あらゆる種の存在の維持と調和において最も必要なことだと感じています。私が制作において一番大切にしている事は、それらの流動物から自然の氣を体感しそれを表すことです。

空気には、目に見えない粒子があり、それは絶えず動き、氣を発してします。その流動性のある粒(流動物)を、私は全ての生命の根源と感じます。

                                     
※1「氣」は「気」の旧漢字です。





「気」は見えないとしても身のまわりに漂うと感ぜられるものを意味します。「氣」を見てみると「气(きがまえ)」に「米」と書きます。「米」は命を養うとされてる意味と、「八方に広がる」という意味を持ちます。





「氣」は、エネルギーが「八方に広がる」という文字です。